第59回東京支部「歩こう会」主催
古都鎌倉(極楽寺・長谷寺ほか)を散策
 
参加者全員記念撮
長谷寺観音堂前にて
     後列  佐藤・新川・尾崎・水沢・斉藤・山崎         
     3列                中田・遠藤・鶴岡
     2列   東・水野・渡部・大沼・水沢夫人・中村・古村
     前列  二瓶・沖・木村(勉)・安富・森・木村(栄)  の皆さん(総数 22名)
 
コ ー ス 東京駅中央口(第1集合場所) → 鎌倉駅(第2集合場所) → 極楽寺拝観 → 極楽寺奥の院 → 導地蔵 → 上杉憲方の墓 → 成就院前極楽寺切通し → 虚空蔵堂・星の井 → 御霊神社 → 長谷寺 → 高徳院(鎌倉大佛) → 鎌倉駅で解散
 
 江ノ電『極楽寺』駅   出発前の日程説明・注意事項など(中央佐藤武宏さん) 
 潅仏会の極楽寺界隈散策風景
 『霊鷲山感応院極楽寺』正門 忍性菩薩廟参拝の行列 (混雑で拝観出来なかった)
『潅仏会』(花まつり)の甘茶かけと甘茶のサービス 
【注】灌仏会(花まつり)では、お花で飾られたお堂(花御堂)のなかに甘茶を入れたお盆(浴盆)を置き、そこに、右手で上を、左手で下を指し示したお釈迦さまのお誕生の姿をあらわしたお像(誕生仏)を安置し、柄杓で甘茶を頭上からそそぎます。
子供の頃、甘茶をもらって飲んだ記憶のある方も多いのではないでしょうか
極楽寺『奥の院』(極楽寺を開山した良観房忍性の墓) 年1回潅仏会(4月8日)で参拝出来ました(内部撮影禁止) 
 導地蔵参拝    伝上杉憲方の墓
 
 導地蔵前で一休み(もうお疲れ?)
 
 古戦場(極楽寺坂)を散策
昔の文部省唱歌『鎌倉』の歌詞の1節にある古戦場です。 
   七里ヶ浜の いそ伝い 稲村ヶ崎   名将の 剣投ぜし 古戦場
   極楽寺坂  越え行けば  長谷観音の 堂近く ・・・・・・・
【注】1333年(元弘3年)新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。
鎌倉に進撃しようとする義貞は、軍勢を極楽寺切通へ向け、これを十六代執権赤橋(北条)守時が迎え撃った戦い。
この辺りが極楽寺切通の『古戦場』です 
成就院境内   前方が七里ヶ浜です
虚空蔵堂と星ノ井見学 
 
『星ノ井』見学 
 【注】虚空蔵堂の下にある「星ノ井」は、別名「星月ノ井」又は「星月夜ノ井」と呼ばれ、鎌倉十井の一つ。この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため、井戸を覗くと星が輝いて見えたという伝説からこの名がある。
行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂といわれる。「星ノ井」は、鎌倉江ノ島街道の極楽寺切通(極楽寺坂)の下にあるということで、明治時代には、井戸付近に茶店ができて賑わい、大正時代には茶店はなくなったものの、通行人に水を売っていたという。 
 
御霊(ごりょう)神社散策 
 
 
注】御霊神社は各地にあるが、祖先の霊を守る社と、怨霊鎮護の為に祀る神社とある。この社は、鎌倉始祖の鎌倉権五郎景政を祀った神社である。御霊神社はその昔、鎌倉近辺には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉という平氏五家があり、これら五家の祖を祀る神社として五霊神社が建てられた。これが御霊神社となり祭神としていつしか、武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公一柱だけを祀るようになった。
 
長谷寺(長谷観音)散策 
 
 
水沢さんよりお弁当をトンビにさらわれないよう注意された 
 
潅仏会(花まつり) ここでもお釈迦様に甘茶をかけた 
 
【注】観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ、通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております。上の境内には、本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂をはじめ、主要な諸堂宇が建ち並ぶほか、鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」と、傾斜地を利用した「眺望散策路」があり、鎌倉でも有数の景勝地となっております。また、眺望散策路の周辺には40種類以上約2500株のアジサイが群生しており、梅雨の季節には眺望はもとより「アジサイの径(こみち)」として散策も楽しんでいただけます。
 
高徳院(鎌倉大佛)拝観散策 
 
鎌倉大佛の表・裏 
【注】鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条康時の晩年になってから作り始めた。淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。北条泰時もその建立に援助をした。そして大仏開眼は5年後の寛元元(1243)6月11に行われた。泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造であった。 そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、現在の様な露座の大仏となってしまった。 本尊の大仏は阿弥陀如来で高さは12.38m、総重量は121トンである。 
 
 お疲れ記念撮影
 
 
反省会風景 
 
 
 
第59回『歩こう会』古都鎌倉の散策に参加して
 前日の大風も止み、爽やかな天候に恵まれました。 
今回は、地元で神奈川地区会の佐藤武宏さんと会員の水沢義雄さんにガイドをお願いして、各場所で詳しい説明をしていただき、本当に助かりました。お礼申し上げます。
 4月8日はお釈迦様の誕生日。潅仏会(かんぶつえ)で花まつりの行事が各寺院で行われ、お釈迦様に甘茶をかけ、甘茶でカッポレとはゆきませんでしたが、甘茶を飲み健康を祈ってまいりました。また普段拝観出来ないような格別のご開帳も用意され、混雑はしましたが有意義な散策でした。
 本日出席の皆さんは、坂道をものともせず早足で歩き元気一杯でした。さすがは歩こう会会員様です。
 この記事をご覧の皆さまは『鎌倉』には何度も行かれて、写真さえ見れば良くお判りいただけるものと、ここでは省略を致したいと思います。
兎に角、天候に恵まれ、花祭りの特別行事があり、古都鎌倉の静かな佇まい、荘厳な寺院などを堪能いたしました。 反省会は、いつもの通り健康、病、時事等あらゆる分野の話で楽しく過ごさせていただきました。
次回の『歩こう会』には、元気で多くの会員の皆様が参加されますよう健康に留意されお過ごし下さい。
 最後までご覧いただき有難うございました
写真と拙文は 東でした 
inserted by FC2 system